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after comment《調理時間に振付される》

 

 

角煮が完成するまでを上演時間とし、調理過程とリンクしながら、テキストを交えながらパフォーマンスをする。食べるという行為を分解して考察し、作品化することを目指しながら、「ダンス」という瞬間を見つめ直すためにワークインプログレスを行った。

 

時間とダンス。

 

11時の回、はじめましてや朝ということもあって堅くなってしまう。80分という調理時間の長さ、それに対する密度のうすさがあった。見られる視点があることで気づくことがたくさんある。時間感覚も長く感じる。もっと見られる前に気づいておけたはず…と悔しさもあるが、その時は気づけないのが沼のよう。。。

 

このもやりを経たからか、15時の回は上演としてはいちばんあたたかく落ち着いていた回だった。 だからこそ、調理・上演を経て、それをおつまみにごはんを共にする、「対話の時間」の豊かさを実感した。この時間をさらに豊かにするために、上演(作品)でもっと言葉やイメージが生んでいきたいなあと実感した。

 

そして、19時の回では様々なことが起こる。まず、プロジェクターがつかない。私はリモコンを用いてとっさにうごきを構築した。さらに、ごはんが炊けないという事態が起こった。前からあったごはんをレンチンするか、炊けるまで待つか…

ダンサーとして、お客さんにこの状況はばれてはいけない。はける、アイコンタクトを取る、振付を繰り返す、振付を変化させる。なんとかアイディアを具現化する。

調理時間という自分たちでは変えられないものによって決めごとが変化していく。作品を届けるために不測の事態が起こっていることをばれてはいけない一方で、何か違う空気感がプラスに起こっていたらいいのに、と思う。これがお客さんにとってダンスを見つけ出す材料になっていたら…

 

内側で起こるダンスがダンスとは限らない。また外見や形としてダンシングしていもダンスでないかもしれない。どんな時も唯一あるのは時間という枠組みだと思う。変化する中でその時間をどう構築していくのか。外からも影響を受けながら、観客ともダンスー日常から少し離れたスパイス的なものを見つけたいのだと思う。上演や作品は完成ではない。けれども見られる、そして共有するものである。そのための何らかの基準や沸点のようなものは必要… 時間を構築しながら、時間に動かされる。その揺らぎと、変えることのない″核″を行ったり来たりしながら、見つけ続けることを続けたい。

Neon sugimoto