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ARTMeetふるさと滞在レポート

2023年7月13日〜19日桜島の旧改新小学校をリノベーションした施設、ulalaふるさとのアーティスト・イン・レジデンスに参加した。(遠藤のみ現地参加、杉本は東京からのリモート参加となった。)

レジデンスには小辻太一さん(振付家/ジャグラー/ダンサー)、大橋昂汰さん(ジャグラー/ジャグリング)と共に参加。活動の経緯やそれぞれの滞在中の様子についてはFolkore Forest(ulalaふるさと)の報告を参照。→https://folklore-f.org/2023/09/02/13057/

 

ここでは主に最終日に桜島フェリーターミナルで実施した報告会の内容に基づいて、滞在レポートとする。

 

Ne Na labは2つの取り組みを実施した。

  • リサーチ:風のかたちをさぐる
  • リモート創作:Sakurajima

風のかたちをさぐる

<背景>

日常的に火山が噴火している桜島にとって「風」は降灰を左右する重要な情報であり、鹿児島ローカルの天気予報は桜島上空の風予報があるということを知った。

そこで、「風」をテーマにリサーチを実施することにした。
今回の滞在は1週間と短期で、地域住民との交流を介した生活のリサーチは難しいと感じていたため、できるだけシンプルな自分自身のリサーチとして行うことにした。

<ルール>
・風を身体に受けて空気抵抗を受けないように身体の形を変えていく
・風に吹かれているもの(ビニール袋/ビニールテープ/のぼりetc.)に身体の一部の動きを同期させる、真似をする

 

  この取り組みを港や丘の上、山の上、フェリーなど島内外のさまざまな場所で行った。

また、桜島には噴火の際、噴石を避けるために設置された避難壕という小屋が島内の至る所に設置されている。今はそこまで大きな噴石が落ちてくるような噴火は滅多にないそうだが、幹線道路沿い設置されたさまざまな形・大きさの待避壕を見ると桜島の人々が火山とともに暮らしてきた歴史が窺える。

 この待避壕の中でも同様のタスクを行った。

 

<考察・感想>

風になって踊る、風と共に踊るというような表現は良く耳にするが、あくまでイメージの世界である。

今回実践した空気抵抗を受けないように身体の形を変えていくというタスクはあくまで、空気抵抗を受けない体の形を探っていくことが目的であり、いわゆるイメージの世界を脱して風に振り付けられることが可能ではないかと思った。風は温度変化や些細な環境の変化によっても常に生じる現象であり、広い待避壕の内部でも空気の対流が緩やかに行われているのが感じられた。特に幹線道路沿いの待避壕は車の通過によってその流れが変わってくという、ささやかなダイナミズムが身体を動かしていくという経験が興味深い。このタスクは即興的に踊る時の1つのタスク(ネタ)的にイメージに依存しすぎない方法として有用だと思った。

一方で港など強風が吹き付ける場所では、風下に吹かれていく以外に空気抵抗をなくすことが非常に難しく、あまり効果的ではなかった。

このテーマを選んだ際は、実際どこまで「風」が桜島の人々にとって重要なものか、ネットで見るほどではないのかもしれないとも思っていた。しかし、桜島の人々に「風」について話すと、皆一様に頷き、私が思っている以上に風の情報は重要だということがわかり、安心と共に、とても興味深かった。

もし、また機会があれば、その意識についてももう少し掘り下げられればと思う。

Sakurajima

今回、杉本がリモート滞在だっため、往復書簡形式で創作を行った

1.フィールドレコーディング by 遠藤

2.編集 by 杉本

3.振付 by 遠藤

 

1.フィールドレコーディング

杉本からレコーディングの際のルールが指定される。

→踊る時の態、今にも踊り出せそうな状態で採るor踊りながら(動きながら)、または日常ではないダンスだと思う体勢で採る

フィールドレコーディングはフェリーの船内や島内を散策しているとき、初島という1世帯のみが暮らす無人島などさまざまな場所で収録した。

それぞれの音はこちらからお聞きいただけます。

 

 

2.編集

音を受け取った杉本が編集し1つの音源にして遠藤に送付

 

3.振付

桜島での滞在を振り返り、小さな動きの素材を集める。

*振付キーワード

風のかたちをさぐる・フェリーの風向計・波・蚊に刺された・温泉・灰をかき出すリヤカー・公民館のおじさん・初島のおばさん・観光地化されて人に慣れている野良猫たち・灰干し(灰で魚の水分を抜く干物)を作ってみる・蝿が飛んでる・火山・広い待避壕の反響音・山の上の待避壕

 

おわりに

小辻さんからお話をいただいた際、初の滞在制作であり、1週間の短い時間だったため、東京ではない土地に行って創作をすることとはどのようなことか、ということを考えた。「東京」から「地方」に赴いたよそ者が、現地の文化や自然に触れて創作をする、という構造はともすると文化盗用、暴力的な行為になりかねないと思ったからだ。だからこそ、今回の滞在ではできるだけ現象やモノに対するリサーチや、個人的な経験からの振り付けに終始した。

しかし、実際に滞在してみて、よそ者であるからこそ、地域を知るためのコミュニケーションが必要であると感じた。そして、「東京」と「地方」という二項対立的な考え方自体が傲慢であり、その地域と個々に向き合うべきだということに気付かされた。

 

桜島は自然の資源が豊富な一方で、文化的な資源に乏しいという声を聞いた。しかし、地域の人たちにとって文化的な営み、とりわけ新しい表現を全員が欲しているわけではない。それよりも、深刻な過疎化やインフラ整備の方が喫緊の課題である。そのような環境の中で、アーティストは何ができるか。

 

最後に印象的だった思い出を1つ。全校生徒1名の小学校を見学させてもらった時のこと。その学校では運動会などの学校行事は先生を含む地域の大人たちが時に友達のように、時に先生のように一丸となってその子と共に育っている印象があり、そのような環境が少し羨ましくもあった。島内の小学校は3年後を目処に1校に統合されるそうだ。もしかしたらこのような環境は今後なくなってしまうのかもしれない、そう思うと寂しくもあった。もちろん統合されて充実した学校で学ぶことが教育にとっての正解かもしれないが、この環境にしかない充実が確かに存在していると感じた。

 

この滞在制作を誘ってくださった小辻さん、一緒に過ごした大橋さん、そして、我々の滞在を豊かな時間にしてくれたFolkore Forest米藏さん、ほか滞在で出会ったすべての皆様に感謝します。また、いつかどこかで。

 

遠藤七海